2015年1月4日日曜日

太字

太字

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2013年4月18日木曜日

くずし字 ~立川の「立」~

へんな言葉とか、変な文章とか、そういうのとは単位が違う、変な漢字。

立川の「立」。

考案者の意図は今のところ不明。


2013年3月31日日曜日

くずし字 ~鎌倉編~

「鳩」。

偏(へん)の位置にある九の第二画を右下まで伸ばし、あたかもこれを繞(にょう)であるかのようにして書く。

鳩サブレーは言わずと知れたお土産だから、変形されたこの鳩の字もすっかり見慣れている。あまり違和感がないのはその為か。

だがよく思い出してみると、既にこの形は正式に「旭」として使われている。考案者にはこの「旭」の字が記憶の片隅にあったのだろう。

「九」部を大きくしたおかげで、「鳥」は小さく書かれる。この部分が、あたかも小さく可愛らしい鳩のようにみえなくもない。考案者はこの効果を狙ったか。

部首:鳥(とり)。

類字:旭。


2012年11月25日日曜日

『マルクス以後のマルクス主義』

レーニンは、ロシアのブルジョア革命によってつくり出された状況に完全に精通して、最初のプロレタリア革命はおくれた一国、ロシアで突発しようとしている、と主張した。

マルクスとエンゲルスは、自由競争時代の資本主義的社会に特有な矛盾[...]が破裂点に達するとき、プロレタリア革命が資本主義を社会主義的生産様式に代えるであろう。

ブルジョア社会がはっきりと同じリズムで進化するならば、社会主義社会は、資本主義が確立しているすべての国において、ほとんど同時に出現するであろう。

レーニンが予見していたとおに、最初の帝国主義戦線の決壊は、資本主義がその最終的形態に到達している西欧的民主主義においてではく、帝国主義がそれ自身、もはやブルジョア的ではなくプロレタリア的な革命を生み出す不均衡をひきおこした後進的な専制的国家において、起こったのである。

2012年7月11日水曜日

神保町にて


真理の規範について(『スピノザの世界』p.61)

半円が回転→球
必然性はこの「→」のところで感じられている。原因Pは、スピノザの言葉でいうと「好き勝手な」虚構、想定である。しかしこういう原因Pの虚構は、非常に単純な観念からできているので、結果Qが生じるかがそこから間違いなく導ける。すなわち必然的に「球」が生じるのである。これが球の真なる観念である。

2012年6月17日日曜日

不幸について(ドゥルーズ『スピノザ』)

「その人間が邪悪である、不幸であるといわれるのは、いま現に彼がもつ状態との関連ではなく、彼がもたないか、今ではもたなくなってしまった状態との関連においてのことなのだ」p.69

「本質に属するのは、つねにひとつの状態、いいかえればひとつの実在性、完全性で[...]ある」p.69

「本質は、その本質のとる状態しかもちえないし、他の本質に変わるということもありえない」p.69

2012年5月11日金曜日

スピノザ

「結果についての認識は原因についての認識に依存する」スピノザ

2012年4月30日月曜日

欲望する機械(ドゥルーズ)

「フロイトは欲望の機械を知らなかったわけではない。欲望や欲望の機械装置こそ、精神分析の発見だと考えてもいい。」(『記号と事件』 P.37)
「フロイトが分析してみせた心的装置[...]を見ればたしかに機械装置とか欲望の生産や生産単位など、そういった面がきわだっているのがわかる。」(『記号と事件』P.38)

欲望する機械とは:
「あらゆる機械のなかにちらばっている種々の小機械と、あらゆる有機体の中に分散している種々の小組織体の間には、相互浸透や直接のコミュニケーションが存在する。」(『アンチオイディプス』P.341)
「真の相違は、社会機械であれ、技術機械であれ、有機体機械であれ、一方のモル的な緒機械と、分子の秩序に属している他方の欲望する諸機械の間にある。」(『アンチオイディプス』P. 341)

2012年4月5日木曜日

『アンチオイディプス』について(ドゥルーズ)

「一冊の本を読むには二通りの読み方がある。ひとつは本を箱のようなものと考え、箱だから内部があると思い込む立場。もうひとつの読み方では、本を小型の非意味形成機械と考える。そこで問題になるのは「これは機械だろうか。機械ならどんなふうに機能するだろうか」と問うことだけだろう。」(『記号と事件』P41)

「何かが伝わるか、伝わらないかということが問題になる。[...]電源に接続するような読み方だと考えていい。」( 『記号と事件』P41 )