2012年11月25日日曜日

『マルクス以後のマルクス主義』

レーニンは、ロシアのブルジョア革命によってつくり出された状況に完全に精通して、最初のプロレタリア革命はおくれた一国、ロシアで突発しようとしている、と主張した。

マルクスとエンゲルスは、自由競争時代の資本主義的社会に特有な矛盾[...]が破裂点に達するとき、プロレタリア革命が資本主義を社会主義的生産様式に代えるであろう。

ブルジョア社会がはっきりと同じリズムで進化するならば、社会主義社会は、資本主義が確立しているすべての国において、ほとんど同時に出現するであろう。

レーニンが予見していたとおに、最初の帝国主義戦線の決壊は、資本主義がその最終的形態に到達している西欧的民主主義においてではく、帝国主義がそれ自身、もはやブルジョア的ではなくプロレタリア的な革命を生み出す不均衡をひきおこした後進的な専制的国家において、起こったのである。

2012年7月11日水曜日

神保町にて


真理の規範について(『スピノザの世界』p.61)

半円が回転→球
必然性はこの「→」のところで感じられている。原因Pは、スピノザの言葉でいうと「好き勝手な」虚構、想定である。しかしこういう原因Pの虚構は、非常に単純な観念からできているので、結果Qが生じるかがそこから間違いなく導ける。すなわち必然的に「球」が生じるのである。これが球の真なる観念である。

2012年6月17日日曜日

不幸について(ドゥルーズ『スピノザ』)

「その人間が邪悪である、不幸であるといわれるのは、いま現に彼がもつ状態との関連ではなく、彼がもたないか、今ではもたなくなってしまった状態との関連においてのことなのだ」p.69

「本質に属するのは、つねにひとつの状態、いいかえればひとつの実在性、完全性で[...]ある」p.69

「本質は、その本質のとる状態しかもちえないし、他の本質に変わるということもありえない」p.69

2012年5月11日金曜日

スピノザ

「結果についての認識は原因についての認識に依存する」スピノザ

2012年4月30日月曜日

欲望する機械(ドゥルーズ)

「フロイトは欲望の機械を知らなかったわけではない。欲望や欲望の機械装置こそ、精神分析の発見だと考えてもいい。」(『記号と事件』 P.37)
「フロイトが分析してみせた心的装置[...]を見ればたしかに機械装置とか欲望の生産や生産単位など、そういった面がきわだっているのがわかる。」(『記号と事件』P.38)

欲望する機械とは:
「あらゆる機械のなかにちらばっている種々の小機械と、あらゆる有機体の中に分散している種々の小組織体の間には、相互浸透や直接のコミュニケーションが存在する。」(『アンチオイディプス』P.341)
「真の相違は、社会機械であれ、技術機械であれ、有機体機械であれ、一方のモル的な緒機械と、分子の秩序に属している他方の欲望する諸機械の間にある。」(『アンチオイディプス』P. 341)

2012年4月5日木曜日

『アンチオイディプス』について(ドゥルーズ)

「一冊の本を読むには二通りの読み方がある。ひとつは本を箱のようなものと考え、箱だから内部があると思い込む立場。もうひとつの読み方では、本を小型の非意味形成機械と考える。そこで問題になるのは「これは機械だろうか。機械ならどんなふうに機能するだろうか」と問うことだけだろう。」(『記号と事件』P41)

「何かが伝わるか、伝わらないかということが問題になる。[...]電源に接続するような読み方だと考えていい。」( 『記号と事件』P41 )

2012年3月29日木曜日

アレンジメントについて(ドゥルーズ)

「私たちは混合の状態を分析することが自分たちの使命だと考えているわけですが、それが私にとってはアレンジメントであり、同じものがフーコーの用語では装置と呼ばれていた。」(『記号と事件』P175)

「統一化の焦点、全体化の結節点、そして主体化のプロセスはアレンジメントのなかに見出だされる。」 (『記号と事件』 P176)

2012年3月20日火曜日

井上真央


哲学について ジル・ドゥルーズ

「形而上学の超克とか哲学の死に動揺をおぼえたことがないし、〈全体〉や 〈一〉や 〈主体〉の放棄を深刻に受けとめたこともない。私は概念の直接的な提示をおこなう経験論を捨ててはいないのです。」『記号と事件』P180

「哲学には哲学独自の素材があって、それが哲学以外の緒学を相手に、外在的であるだけになおさら必然性の高い関係を結ぶことを可能にしてくれる、そう信じている」『記号と事件』P181

2012年3月18日日曜日

2012年3月15日木曜日

ジル・ドゥルーズ『記号と事件』

コミュニケーションについて

「私たちが管理社会にさしかかると、...恒常的の管理と瞬時に成り立つコミュニケーションが幅をきかすようになる。」P.350

「言論も、コミュニケーションも、すでに腐りきっているかもしれないのです。...創造するということは、これまでも常にコミュニケーションとは異なる活動でした。そこで重要になってくるのは、非コミュニケーションの空洞や、断続器をつくりあげ、管理からの逃走をこころみることだろうと思います。」
P.352

2012年3月14日水曜日

石原さとみさんの昭和らしさがこの写真に表れてる。


石原さとみ シャンプー 店内pop

笑顔がいつになく
自然だ。